私には心がもう無いみたい、人として終わっているみたい

2017
2月11日ばあちゃんが亡くなった
建国記念日の日
この日
私は変な夢で目が覚めた
自分が、最後のお別れを病院で父と母に言って
夢の中で涙を流していた
それに気がついて目が覚めた

2月6日に医師会に行った日はまだ
呼吸も苦しくなかった。
インフルエンザ、M、肺炎と最後は菌に負けた
それでも、良く頑張った姿は感じた
最後の最後までよく戦ったと思う
病室は教えてもらえなかったけど

生きてるばあちゃんに会っていて良かった
勝手に行ったけど会っていて良かった
自然とばあちゃんって呼んでた

昔のことは、もう感情的に思い出せない
というか
感情鈍磨だよ

葬儀で涙一つ出ない自分を
初めて知った
いや、義父の時も出なかったが
あの時はまだ、感情が動いていた
泣かないように。
今日はそうじゃない
あの時より
更におかしい
人間としての何かが亡くなっている
心が私にはないみたい
式中、みんなが涙する中
そう、小学生の子供ですら泣いているのに
私は
感情鈍磨らしい
まるで実感が無い
式中流れた曲はJIN
あの男がよぎる
昨日の夜3回アル中男から着信あり
何なんだ

予想するに
おばさんの命日が近く
何か言いたいのだろう

知るか
関係ないのに
なぜ執着するのか

無事に葬儀は終わった
火葬場に着くとあまりにあっけなく火葬に入った
人の死
人一人の人生の終結

子に孫にひ孫に囲まれて
幸せだったわね

私には子も孫もいない

私の終末は誰が喪主?
変な夢見たなあ
両親にありがとうを言い
その日にばあちゃんが亡くなった

次は誰の番か
考えたくは無いが
自然と考えてしまうのが定め

大事にしないと。
家ばあちゃん

後何年かしかないかもしれない
何が出来るだろう

骨は大きな骨がたくさん
大腿骨に骨盤

私の大腿骨
私の火葬の時にはどれだけあるのだろう

私の中の
感情
どこへ行った?

娘を無くした悲しさより
大きな悲しみはなく

涙を無くしてしまったみたい

そして、今の職場に慣れたせいか

独りと言うことも全く気にならなかった

私は私が親しんでいる
浄土真宗で人生の終結をくくれるのだから
これだけ幸せなことはない