アル中男の死 因縁の意味 そして機を待つ

2018 3 20
整体の客からアル中男の死を聞いた
2017 12 23死去 享年48
今日、半信半疑な自分が嫌で、
本当かどうか本当に確かめたくて
墓に行った
本当にこの日に死去していた。
墓に入った本人を前に
ただ、ありがとう
としかでなかった
その場を早早に立ち去った
半信半疑な事が、本当に死去したことを認めざるを得なかったと同時に
安心感もあった
もう何かされることも、車で追われることも、脅されることも、メールが来ることもない
あのワゴンRの車と同じ車が通ってももうビクつかなくて良くなるはずだ
そう思うと、不謹慎だがホッとしている
それと同時に、手術まで踏ん張ったあれは何だったのだろうか
脅され離婚し、手術をさせて社会復帰するまではと耐えた自分の地獄の日々は何だったのだろうか
手術して、1年後に死ぬなら、手術などしなければ良かったし私が手術まで耐える必要も無かったのだ
手術入院を堺にやっと開放される荷が下りた
あの時やっと解けた洗脳
なぜ家族をなくした
なくす必要も価値もなかったのに
そうなったのも、私自身への戒めだったのだろう

死因は何か分からないが
吐血か、血栓が肺に飛んだか、痛み止めと酒の服用でショック死したかであろう。
自殺するほどの勇気はなかった
口では言っていたが
2017 6月からメールは無くなった
生きる意味がなくなったのであろう
今の私も同じだがアル中男よりはマシだ
生きる意味を探し続けていたのは知っている
だが、それを無理やりに自分の方へ強硬手段、常套手段で持ってきて、人の家庭をめちゃくちゃにしたのだから
生きる意味を見つけられるはずはなかった
何かを無理やりにねじ伏せてまで卑怯なやり方でやるなんて
私の中にはない
善行とはかけ離れた行為である
若すぎる死だが、そうなる因縁は充分に持ち合わせていた
それに関わった私は情け無いが、これも因縁
これからの私に必要であったのだろう
そして今起きている因縁もそうである
その意味が判ってきている気がする
じっくりとその意味を知りながら将来を見定めようと思う
鉄砲玉のようなその場限りの行動言動を決してせず
ゆっくり先の夢のため、実現のため、足場を作ろう
機をまち、時を待ち、人を待つ
まだ機は熟してない。
それにしても、なぜ結婚記念日の12月23日に死去?
なぜ、アル中男の妻の名前も主人と同じだったのだろう
何の意味があるのだろう。
12月23日は否応なしに頭を2つのことが頭を寄ぎることになる。
私が家族を無くした因縁のものが重なり合う