人生の片づけ
今日、帰省していた姪っ子と妹が岡山へ帰った
寂しい
あんなににぎやかだったのに
そして久々に笑った
この頃笑うことなど無かった
もう、8月も明日で終わり
モチベーションも上がらない
今年は人生の片づけを始めた年だった
それにふさわしく8月10日に臼がい形成不全と知り
股関節、膝関節共に変形性関節症
正座もしゃがむこともなるべく最小限にしましょうと。
そして8月19日に肩のMRIで腫瘍が見つかり
最近は何で生きているのか分からず、10月のopで悪性腫瘍で転移していることを願う毎日となった
何が楽しくてみんな笑っているのか
私にはもう楽しみも守るものもなくなった
話をすることも面倒で死んだ魚の眼のような光がなく顔もすさみ、活が消えた
死んでいるのに生きている
仕事が終わると身体全体が痛く、ズボンや靴下を脱ぐのが苦痛
ジョグすると少し楽で体を動かしてから帰る
だがいつまでジョグ出来ることか。この一年で一気に走行距離は縮まった
昨年10月から今の仕事に転職し、関節は徐々にむしばまれていった
みんな年を取れば疲れが取れなくなるのだから仕方ないと言い聞かせてきたが元々30歳頃からのヘルニアが悲鳴の声を上げ始めたのを無視して仕事を張り切りすぎたせいだろう
今ではコルセットがないと腰がぐらぐらで電気が走る。ストンと腰が落ちるような痛みが、消えない
もうどうでもいい体
まだ痛みとしては一割程度だが、これから出来ない事が年々増加するだろう
40歳を目の前に、正座ができなくなった
そのうち和式トイレや床の物も取れなくなる
仕事はデスクワークしかできなくなる
私には出来るデスクワークなど資格も無い
身体を資本にした仕事しかしてこなかった
資本といえば高価な聞こえだが、脳のない人間が身体を酷使するしか術が無かっただけだ
祖母は生きているだけで遺族年金というものがあるが私には生きていても金を食いつぶすものしかない
価値がない
この命、どう使う?
守りには入らない
守っても仕方ない
守る家族はもういない